函館家庭裁判所 昭和43年(家)219号 審判 1968年7月08日
申立人 ○○児童相談所長 X
事件本人 A 昭和○年○月○日生
他1名
右親権者父 B
同母 C
主文
申立人が事件本人両名を養護施設に収容することを承認する。
理由
一 ○○児童相談所長からの本件申請の理由の要旨
昭和四三年四月一二日事件本人両名につき北海道桧山支庁長から○○児童相談所長に対し、次のような内容の通告があつた。即ち、事件本人両名の親権者父Bは性格異常者であつて、昼間は寝ていて、夜になると飲酒しては騒ぎ出し、飲酒時の狂暴性は甚だしく、事件本人らが言い付けに従わないときは、デレッキで殴打する等してこれを虐待するため、事件本人らはこれまでにも数回児童相談所に一時保護されたことがあり、その都度町役場、警察、児童委員ら関係諸機関から注意指導を受けて来たのであるが、同人は更に昭和四三年四月九日午後一一時半頃にも飲酒の上標記自宅において事件本人Dの態度が悪いとしてその頭部をデレッキで約一〇回位殴打し、よつて同人に対し安静加療約二週間を要する頭部挫創の傷害を負わせた。一方事件本人らの親権者母Cも監護能力に欠け、家業の時計修理の註文取りと称して外泊することが多かつた。しかも上記父Bの暴行がいずれも同女の不在中のものであつたところから、同女に対しても上記関係諸機関から再三にわたり家を外にしないで事件本人らの監護に専念するように指導がなされ、同女が家に落ち着けるよう生活保護法適用の措置もとられたが、その効果もなく、現在では両名共関係諸機関の指導に対してはむしろ反撥する状態で、指導も限界に達しており、このまま事件本人両名を自宅に置き保護者らに監護させることは、その福祉を著しく害するものであると言うものであつた。
そこで○○児童相談所においては、事件本人両名を一時保護した上、これにつき調査をした結果上記事実が認められ、保護者父Bらは事件本人両名を虐待し、かつ著しくその監護を怠り、福祉を害するものと言うべきであるから事件本人両名を養護施設に入所させるのが適当と思料するが、保護者の同意が得られないので児童福祉法二八条一項一号による承認を求めるため、本申請におよぶと言うものである。
二 当裁判所の判断
申立人提出にかかる事件本人両名についての児童票およびこれに添付の諸資料ならびに当裁判所調査官E作成の調査報告書(学校、民生児童委員の各照会回答書添付)および当裁判所における親権者父B、同C、事件本人両名、○○児童相談所相談課長F、同児童福祉司G各審問の結果等を総合すると、
事件本人A、同Dは、それぞれ上記父B、母Cの長女および長男として、いずれも標記a町で出生し、以来上記両親に養育されて成長したものであるが、父Bは平素から事件本人らに対し、厳しい体罰を加えることがあつたが、殊に妻Cが家業の時計修理の註文取り或いは出稼ぎのため外泊不在の折には、飲酒した上、事件本人らに少しでも自己の意にそわないところがあると、傍にあるもので同人らを殴打する傾向があつて、昭和四一年三月頃には事件本人Dが言付けを聞かないとして、その右頭部を鉄製のデレッキで殴打して傷害を与えた外、同人の教科書を焼いてしまつた事もあり、又同年六月末頃にも同人に対し、夜間酒を買いに行くように命じたところ、これに従わなかつたことに立腹し、同人を殴打したため、同人が戸外に逃げ出し、夜間町内を徘徊するようなことが二回におよんだため、○○児童相談所においては、同人を一時保護した上、a町役場、学校、警察、民生児童委員等関係諸機関とも協議した結果、一時は事件本人Dの福祉のため、同人を父のもとから離して養護施設に収容することも考慮されたが、保護者両名が改心を誓い、今後の十分な監護を約して事件本人Dの引き取り方を懇願したため、今後二度と同様なことがあれば、同人を養護施設に入所させることに異議はない旨を保護者に確約させた上で同人を引き取らせ、以後児童福祉法二七条一項二号の児童委員による指導の措置がとられることになつた。しかし同年一二月に至り、再び同様な事があつたため、同児童相談所においては重ねて事件本人Dを一時保護した上、養護施設入所を考慮していたところ、保護者らは児童相談所をはじめ関係諸機関に対し、今一度事件本人を引き取らせて欲しい旨執拗に懇願し、今後事件本人らの福祉に欠けるようなことがあれば、親権喪失の宣告を受けても異議を述べない旨を書面にして誓約したので、同児童相談所においては事件本人を保護者に引き渡した。そしてその後昭和四二年中は一応さほどの問題もなく経過したのであるが、更に昭和四三年四月九日午後一一時半頃、上記母C不在中に標記自宅において飲酒の上、事件本人Dの態度が悪いとしてその頭部を鉄製の火ばさみで約五回殴打し、よつて同人に対し、安静加療二週間を要する頭部挫創(五カ所)の傷害を負わせたため、事件本人Dは翌朝同Aと共に家をとび出し、母を尋ねて近隣の町村を徘徊中、保護されて現在に至つた。なお事件本人Aは小学校三年生頃から再三にわたり触法(窃盗)行為を重ねたため、昭和四〇年一一月一二日○○児童相談所に一時保護された後、昭和四一年一月七日に養護施設函館b寮に入所させられたが、昭和四二年二月一四日に同措置は解除され、以後は標記自宅において児童委員の指導に付せられていたものであるところ、同人も昭和四三年初め頃、些細なことから父Bに同じくデレッキで頭部を殴打され、或いは髪の毛を掴まれて引つ張られる等の暴行を受けた。一方親権者母Cは、昭和四〇年七月頃から同年一〇月頃までの間数回にわたり事件本人Aが窃取して来た金品を、母に対しては拾つて来た旨述べて渡すのを、黙つて受領し、これを費消或いは換金処分するなどもともと監護能力を認め難い上、かねてから時計修理の註文取り或いは出稼ぎ等で引続き二、三日ないし一〇日位家をあけ、外泊することが多く(最近では一ヵ月のうち通算して一二、三日位)しかも上記のとおりBが飲酒の上事件本人らに暴行を加えるのは同女不在の間が著しかつたことから、関係諸機関においては同女に対し再三にわたつて指導、助言がなされ又同女を家庭に落ちつかせるため生活保護法適用の手続きもとられた外、近隣にも仕事が全くないわけではなく必ずしも同女が外泊を続ける必要はないと思料されるにも拘らず、上記のとおり事件本人らが児童相談所に一時保護された際などには、その都度、以後家に落ち着き事件本人らの監護に専念する旨確約して置きながら、その後は依然として家に落ち着こうとしなかつた。
又これら保護者両名に対する近隣の感情は極めて悪く、同人らは地域社会においては孤立した状況にある。
ところで事件本人Aは一時保護当初から現在に至るまで一貫して父のいる家庭に帰ることを拒否しており、又現在在籍中の中学校においては、前記父親から受けた頭の傷跡につき級友から「ハゲ」等と馬鹿にされること等から強く転校を希望しており、事件本人Dは一時保護当初においては、姉Aと同様父を怖れ、家には帰りたくない旨述べていたが、最近では家に帰り、在籍中の小学校に通学することを強く希望している。他方保護者らも今後は母親が自宅から通勤で働くことにして家庭に落ち着き、父親も今後絶対に暴力を振わないことを誓つて、今回限り事件本人両名或いは少くとも長男Dを保護者のもとに帰して欲しい旨強く希望している。
などの諸事実がそれぞれ認められる。
そこで、上記本件に至るまでの経緯、保護者らの性格傾向、事件本人らの年齢、意向、性格傾向〔事件本人Aは情緒不安定、社会不適応(YGテスト)不全感、不安定感、父に対する嫌悪恐怖感が強く(SCTテスト)自己の内的資質を建設的に使用することを許さない程の強い緊張感を持ち、愛情欲求の拒否、抑圧、情緒的抑うつを示す(ロールシヤツハテスト)、事件本人DはA程ではないが情緒不安、社会不適応を示し(YGテスト)父に対する恐怖感、不全感が強く(SCTテスト)愛情欲求の抑圧が見られ、情緒的衝動に対し、統制力が弱い(ロールシヤツハテスト)等〕およびその他本件調査審判の結果明らかとなつた諸般の事情を勘案すると、保護者両名および事件本人Dの意向ならびに保護者らに事件本人両名に対する愛情が全く認められないわけではないこと等を考慮に入れてもなお本件申請はこれを承認するの外ないものと言わざるを得ない。
但し、特に事件本人Dについては、その心情およびその年齢(当九歳)に照し、又施設収容により、かえつて人格形成の過程にある同人におよぼす虞のある悪影響の点などを考慮すると、同人の施設収容期間が長期に亘ることは決して望ましくなく、この間児童相談所をはじめ関係諸機関において、できる限り早急に同人を家庭で監護できるよう保護者の指導、家庭環境の調整等についての適切な措置がとられることを期待し、主文のとおり審判する。
(家事審判官 近藤道夫)